個性とは、生み出すものではない

人間というものは、一人一人違う(そんなことは当たり前だ)。どんなに似ている双子でも実際には全くの別人なのだ。自分と同じ人間が他にはいないということは、人はみんなそれぞれオリジナルであるということ。

だから自分で考えて、それに基づいて行動していればそれだけで「個性的」なのだ。外から取り入れて、他人の影響を受けているから個性がなくなる。個性を隠すためにそれをしているのなら、正しい判断だろう。

 

生まれたばかりの赤ん坊はみんな顔も姿形もほとんど一緒だが、あれが一番個性を発しているのだ。我々は子供の頃から、みんなと同じように、外から取り入れた情報を元に、個性の消し方を学習させられている。

子どもには個性的な人間に育って欲しいと願っている親も、実際はみんなと違うところはないか、気が気でないというのが本音だろう。せいぜい服や身に付けるものを色とりどりにするのが精一杯だ。

 

個性的であることの価値をみんな見いだせていないのだろう。日本においては、没個性であるほうが集団の中で生きやすいと考えるのもうなずける。個性的な人間が没個性のふりをするのは簡単だ。ちょっと大人しくしていれば良いのだから。しかし、没個性の人間が個性的なふりをするのは難しい。個性的な人間の真似をするしかなくなってしまうだろう。

 

オリジナルとは、自分で考えること。自分で考えていればいつかは個性的な人間否れるだろう。オリジナルを探しに世界を旅しても自分は見つからない。